こんにゃくの街 群馬県下仁田町とこんにゃく

こんにゃく生産日本一

こんにゃくいも

群馬県のこんにゃく生産は、全国生産量の実に9割以上を占めています。中でも「下仁田こんにゃく」は群馬を代表する特産品です。県の南西部に位置する山深い町、下仁田。なぜこの地では、こんなにもこんにゃくの生産が盛んなのでしょうか。

一つ目の理由は、原料であるコンニャクイモの栽培に適した土地であることが挙げられます。コンニャクイモが好むのは山間部の涼しく水はけの良い、南向きの傾斜地。下仁田はその条件にピッタリだったのです。現在では品種改良が進み、平地でも生産できるようになり県内各地で栽培が可能になりましたが、かつては山あいの地で良く育ち、換金作物にもなったコンニャクイモは下仁田の人々の暮らしを支える重要な農産物でした。

もう一つの理由は、コンニャクイモをこんにゃく粉にするために必要な精粉技術が下仁田にあったためです。下仁田では古くから川の流れで水車を回し、米の精米や麦の精粉を行ってきました。こんにゃく粉作りの技法は江戸時代まで水戸藩の専売でしたが、明治に入りその禁が解かれると、下仁田でも麦などからこんにゃく粉の精粉へと転換する精粉業者が増えていったと言われています。

下仁田

コンニャクイモ栽培に適した土地、こんにゃく粉を作る技術。この2つが出合うことで現在の「下仁田こんにゃく」は生まれたといえます。第二次大戦後になると、品質を一定以上に保つため組合も結成され、日本中に「下仁田こんにゃく」が知れ渡るようになりました。

時代の流れとともに、下仁田町のコンニャクイモ生産量は激減してしまいましたが、町内にはこんにゃく粉の精粉業者やこんにゃくを製造販売する商店がたくさんあり、秋になると県内外のコンニャクイモが集ってきます。そしておいしいこんにゃくが作られ、全国の消費者へと届けられていきます。下仁田で生まれるこんにゃくには、長いことこんにゃくに向き合ってきた人たちの手腕が活きているのです。その確かな力が、今なお高品質で名高い「下仁田こんにゃく」のブランドを支え続けています。

こんにゃくができるまで

1.生芋の栽培

春に生子(きご)とよばれるこんにゃくの子球を植え、土の中で成長させ秋に収穫します。これが種芋になります。種芋は冬の間保管し、再び春に植えつけ、秋に収穫します。これを1年玉と呼びます。翌年以降も、植えつけ、収穫、保管を繰り返し、最終的に3年玉まで育てます。

2.生芋の乾燥

秋に収穫した生芋を良く洗い、スライスし乾燥させます。昔は薄く輪切りにした生芋を串に刺し天日で干しましたが、現在では精粉業者が火力乾燥機にかけ、2時間ほどでポテトチップスのような乾燥芋に仕上げます。イモの選別、洗浄、細断、乾燥はこんにゃく粉の品質を左右する大事なポイントなため大変に神経を使います。

3.製粉加工

乾燥芋をこんにゃく粉に精粉します。白く上質なこんにゃく粉に精製するためには、不純物が混じらないことやグルコマンナンを変質させないことが重要です。精粉業者の技術が試される工程です。

4.こんにゃくの製造

こんにゃく粉に水を入れて練り上げ、さらに水酸化カルシウムを加えよく混ぜ型に入れ、固まったら熱湯で茹でアクを抜くとこんにゃくの出来上がり。現在では、全工程を機械で作る方法が主流です。